日本最大規模の尼寺
6月 15, 2013 — 0:00

日本における歴史的建造物の多くは、寺や神社など宗教的な用途のために作られたものです。

さらに言えば凶作や飢饉が続き、疫病が蔓延していた時代にはその次代の為政者たちが神の怒りを沈めようとより大きな建築物を作ろうとしてきたという歴史があります。

それは同時に社会不安が高まる中で、権力者が自分の力を誇示しようという目的でもあったわけですが、結果的にそのような時代に作られた建物は他の平和な時代に作られたものよりも長くこの世界に残されることになっています。

奈良時代は天平文化が栄える華やかな時代ではありましたが、飢饉や凶作は起きておりそのときの権力者であった聖武天皇は仏教の加護を得るため全国に寺社の建築を指示しました。

その中の一つが今の千葉県市原市にある上総国分尼寺です。

聖武天皇が発した詔(みことのり)は全国六十余ヶ所への国分寺・国分尼寺建立を示すもので、当時としては相当に大掛かりな計画であったようです。

この同時期に作られたお寺が奈良の東大寺であり、このときに寺が作られた地域には「国分」という地名がつけられました。

しばらくは全国に数多くあったら「国分」という地名でしたが時代とともに名称は変化してゆき、現在では当時につけられたうちの数個を残すのみとなっています。

 

市原市にある上総国分尼寺跡が発見されたのは1970年代のことで、出土した瓦の文様によって所在地が判明しました。

発見当時は原野同然の松林でしたが、本格的な発掘作業により天平の伽藍跡が眠っていることがわかり時間をかけてその建物の全容が明らかになりました。

調査によれば在りし日の上総国分尼寺は金堂や中門、講堂など数多くの区域にわかれており、東西で約350メートル、南北で約370メートルという広大な敷地面積を誇っていたことがわかっています。

これは通常の尼寺とは全くスケールの違うものであり、日本最大級の尼寺であったことは間違いないようです。

現在ではきらびやかな中門と回廊が再現されており、美しい白壁に朱がいれられた天平文化らしい雰囲気の建物となっています。

アクセスにはJR内房線の五井駅から南東へ3キロメートルほど進んだところの丘陵地帯にあります。

遺跡となった部分からは当時尼僧がどのような生活をしていたかが伺わせる室内の様子や加工食品が数多く出土しました。

当時は僧と同等の強い力を持っていた尼僧の生活を知るための、大変に貴重な資料となっています。