数奇屋造り【江戸時代初期】

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「数寄屋造り」とは、現在も日本の木造住宅の基礎的な構造となっている最も一般的な和室構造のことをいいます。
もともと「数寄屋(すきや)」という言葉は平安時代からある「歌好き」といった「好き」の言葉が語源となっているもので、一つのことにこだわりをもっているものということを示すというふうに言われています。

ただし「数寄屋」という語源に関してはもう一説、「数」が「寄る」という意味で材料を寄せ集めて作るものというふうにして出来上がった言葉というふうにも言われているので、いくつか民間で出回っていた言葉が自然に定着していったというふうに考えられます。

建築様式としての数寄屋造りは、茶室風の様式をとりいれた作りをした部屋のことをいいます。
様式そのものの原型は平安時代からあったとされていますが、現在まで残っているような形として完成したのは安土桃山時代~江戸時代にかけてのこととされています。

代表的な歴史的建築物としては桂離宮や修学院離宮といったものがあり、建物の構造としては書院造りに加えて茶の湯のための茶席、そこに水屋が加わることで一つの住宅として完成しています。
もともと数寄屋造りという名称は、建物の敷地内でも庭園に面した別棟として作られる小規模な茶室だけのことをさしていたのですが、それがいつのまにか「数寄屋造り」として和風建築をした建物構造全体を示すようになりました。

数寄屋造りと呼ばれる住宅の構造的な特徴としては、それ以前の時代にありがちであった豪華で様式美が優先されていた部分をとりのぞき、簡素で応用がきく作りになっているということです。
もともと茶の湯では「侘び寂び」という言葉に代表されるように、豪奢な作り込みよりも自然と一体となった質素さが尊重されていたので、その流れを継ぐ数寄屋造りでは思想をそのまま反映する自由なデザインとなっています。

数寄屋造りの最も大きな特徴は、使用する木材などを必要以上に削ったり形を整えたりすることなく、化粧丸太と言われる皮がついたままの木材や、あえて曲がった樹木や竹をそのまま住宅建材として使用しているという点です。
そのため、一見そのあたりにあった材料を組み合わせて作ったかのようにも見えますが、実際には建材選びやその設置に高い技術が用いられています。

現在では木造住宅そのものが人気がなくなってきていることと、そうした高い技術を持った大工職人が減ってきたこともあり、数寄屋造りは一部の和風旅館やモデルルームなどで見ることが多くなっています。

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