日本における住宅の歴史

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日本は非常に歴史の古い国なので、その建築に関する伝統や文化の変遷もとても長く奥が深いものとなっています。
現在では世界的に評価をうける建築家なども多く輩出している日本ですが、これは長い歴史の中で何度も試行錯誤を繰り返しながら積み重ねられてきた先人の知恵の結晶とも言えるものです。
そんな日本の建築の歴史は、縄文時代の竪穴式住居がスタートとなっています。
実は、古来より日本において建築は特殊な建築家によって設計されるものではなく、ごく一部の為政者たちを除き一般庶民は見よう見まねで作っているのが普通でした。
家を建てるときには自分の力と家族、周囲の共同体の人たちの力を借りて、自分で作っていたのです。

それまで洞穴などに住んでいた人たちが初めて建築によって家を作るようになったのが「竪穴式住居」です。
竪穴式住居が生まれたのは日本の北方の地方であり、農耕文化が南方に少しずつ伝えられていくことにより高床式住居へ発展をしながら伝えられていきました。
竪穴式住居はなんと江戸時代になるまでその工法が部分的に残されており、かなり長い間の日本人にとっての居住に使われていたことになります。
もっとも、竪穴式住居のような藁ぶきの家に住んでいたのは農耕を行う一般の民衆であり、貴族や武士など為政者となる人たちは仏教とともに日本に伝来した木造の建築住宅に住んでいました。
柱の下に礎石をおいたり、屋根に瓦をふいたりするような技術が伝えられたのは平安時代のことで、このころ寝殿造という間取りによる建築方式が多くの住宅に使用されていました。
現在ではこの寝殿造りによる建築は行われていません。

日本において一般的となる木造住宅の基礎的な形ができるのはそのあとの鎌倉~室町時代で築かれています。このときに武家の住居方式として一般化した書院造による建築は、現在でも基礎的に用いられる伝統的な日本住宅となります。
書院造とはいわゆる「床の間」を備えた住宅のことで、現在も多くの和式住宅で見かける床、棚、書院、帳台構えという床飾りを備えていることが特徴です。
書院造りが完成形となるのは江戸時代入ってからとなります。京都の二条城における書院造りこそが、完全体として初めて日本に誕生したものと言われています。
現在では純和式住宅は見かけなくなりましたが、改めて歴史をさかのぼってみると、いかに日本人の生活に住居が大きな関わりを持ってきたかを知ることができ、その良さを再認識させられます。

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