借地権の歴史

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建物を建てる場合、土地も合わせて用意するのは当然のことです。しかし、土地を借りてその上にマイホームなどの建物を建てられる権利のことを借地権といって、その場合は土地も合わせて購入する必要はありません。

借地権とは

借地権とは「第三者から土地を借り、地代を支払い借りた土地の上に建物を建てる権利」のことです。
借りる側を借地権者と呼び、貸す側は地主さんです。

借地権設定者や底地人とも呼んだりし、地主さんには土地を借りる対価として借地権者は毎月地代を支払います。

借地権の種類

借地権には2種類あり、「借地借家法に基づく借地権」と「民法上の借権」が存在します。「借地借家法に基づく借地権」はかみ砕いて言うと、土地を所有している第3者から、土地を借りてそこにアパートやマンションを建てられる権利です。借地権では、借りる人を借地権者、土地を貸し出す地主を貸地権者設定者、又は底地人と呼びます。

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江戸時代の借地

江戸時代には借地権という概念はありませんでした。その代わり稲作や野菜作りをして、それを領主である大名に年貢として納めていました。土地は、あくまで、穀物や野菜を育てる場所として多くの場合使用されていました。また、農地の耕作を領主から認められていただけで所有する権利を持っていたわけではありません。

農耕地では、土地の所有権は領主にありましたが、江戸のような大都会では、地方の大名や旗本は武家屋敷を構えていましたが、幕府の許可がなければ建築できませんでした。庶民はというと、下町など限られた地域に居住していました。そのほとんどがいわゆる長屋で、今でいう賃貸アパートのようなものです。土地を所有しているという概念はなく、下町にある多くの建物は資産家である商人が建築していました。

現代の借地の概念ができたのは明治になってからです。西洋社会の一員となるため、当時の政府は日本国内のグローバリゼーションを急いでいました。西洋の法制度が導入されると、土地の所有権が認められ、政府は土地所有者に対し納税義務を課します。この時代の土地の税金は地価の3パーセントにも上りました。とても高価で、庶民には手が出せません。そこで、地主が家を建てたい人に権利を行使する借地権ができたのです。

国家総動員法と借地権

昭和になると、第2次世界大戦が勃発し日本も例外なく戦うことになります。資源の乏しかった日本では土地の使用に関して制限を設けました。国家総動員法により地主は目的が何であれ土地を国へ貸し出さなくてはならなくなり、賃貸の賃料も国が主導で決めており、地主にとっては不遇の時代でした。

戦後の借地制度

第2次世界大戦で敗戦した日本では、焼け野原になった土地が誰のものか不明になっており、そこに居座って自分が地主だと名乗る輩がいました。そのため、地主がそこは自分の土地だといっても、土地は明け渡されず泣き寝入りする地主も少なくありませんでした。地主は土地を貸し渋り、日本は奇跡の復活をしますが、高度成長期と言われる時代でも借地法は全くの手つかずの状態でした。借地法が本格的に整備されたのは、バブル崩壊後です。土地基本法では、いままでバラバラだった建物に関する法律、借地、借家を一本化したのです。

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