トルコの住宅の歴史

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風土の特徴を活かした住宅

日本と比較すると約2倍の広さの国土があるトルコは大部分が高原ですが、中心部にあるアナトリア高原のカッパドキアは風土の特徴を活かした独特の住宅が存在しています。
カッパドキアには活発な火山活動によって生まれた溶岩や灰などが堆積して作られた凝灰岩の地層が存在していますが、何万年という途方も無い年月を重ねて風雨によって削られたことで珍しい景観が生まれたのです。
一年中空気が乾燥していること、朝と夜の気温差が大きいことなどの特徴に合った洞窟の家が存在しています。
トルコの住宅の歴史を語るうえで忘れてはいけない、カッパドキアの洞窟の家についてご紹介します。

昔から親しまれている家

カッパドキアの洞窟の家は紀元前3千年頃から使われていると言われています。
はっきりとした時期は判明していないものの、4世紀から15世紀まで繁栄していたビサンティン帝国の時代にはキリスト教の修道僧が住んでいたと伝えられています。
修道僧はあえて俗世間から離れているカッパドキアの土地を選んで移り住んできたと言われています。
まるで蟻の巣のように入り組んで部屋が繋がれているような巨大な地下都市が作られていましたが、これは当時敵対関係にあったペルシアやアラビアから襲われるのを避けるためで、外敵の侵入を防ぐ石の蓋も置かれていたそうです。

イスラム教徒の住居

時代が流れてカッパドキア周辺をオスマントルコ帝国が支配すると、オスマントルコのイスラム教徒が住むようになりました。
それまでキリスト教徒が住んでいたような繋がった家ではなく、洞窟の入り口に石造りのテラスが存在しているという特徴があります。
この様式の家は現在でも残されており、夏になるとテラスで過ごして冬には洞窟の家で過ごす人がいるそうです。

原点回帰する人々

近代になると洞窟の家に住んでいた人に対して欧州風の家に住むようにとトルコ政府から勧められたことにより、多くの人が洞窟の家から近代的な欧州風の家へ移り住みました。
しかし、カッパドキアは寒暖の差が大きいという風土なので欧州風の家は夏は暑くて冬は寒いという特徴があり、今まで住んでいた洞窟の家がどんなに住みやすい住宅だったのか改めて気付いたそうです。
そこで欧州風の家のそばに石灰岩で家を作ったり、今までの洞窟の家へ戻ってくる人も続出しました。

洞窟の家には暗くて涼しい貯蔵庫があり、果物やパンを何ヶ月も保存できたり、明るい部屋はキッチンや家畜の小屋などに使われています。
目的に合った最適な使い方が実現する洞窟の家の素晴らしさを改めて再認識したことで、昔ながらの住居の素晴らしさを実感する方が多いようです。

なお、カッパドキアは世界文化遺産として登録されていますが、現在も洞窟の家で生活する人がたくさんいます。

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