古い日本家屋が並ぶ小江戸・川越

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日本における伝統的な住宅が盛んに造られていたのは江戸時代のことです。
中でも江戸を中心として栄えた城下町には、日本独自の文化が花開き、今現在の私たちの生活基盤となるような習慣・風習の多くが生まれました。
江戸時代の城下町で多く造られていた建築方式は、そのあとの戦争や都市開発のためその大部分が既に消失をしてしまった実際に見ることができません。
ですが、江戸の西北でかつて防衛拠点として重要な役割を果たしてきた川越は「小江戸」とも呼ばれ、今もその町並みに江戸の風情を残す歴史的な場所となっています。
川越市に残る建築物には非常にたくさんの見所があり、中でも小江戸に住む人たちに時間を教える役割をしていた「時の鐘」は、今も川越のシンボルとして地元の人たちや観光客に愛されています。

参考サイト:埼玉県川越市

ただし、現在川越市に建てられている時の鐘は4代目であり、明治26年の川越大火時に消失したものを復元しています。
川越大火は川越の街の約3分の1が消失するという非常に大きな火災となりました。
しかし、この時の鐘を愛する市民たちの手によって、非常に早い段階で復建することができました。
現在もこの鐘は住民に音色を響かせていますが、さすがに人が上って鐘を打つ人力は中止されており、自動的に機械が打つ方式に改良しています。
打ち方は変わったとはいえ鐘の音そのものは今も美しい音色として多くのファンを獲得しており、平成8年には「残したい日本の音100選」に認定されています。

川越で見られる建築物のうち、明治の香りを感じることができるのが「一番街」と呼ばれる一本の通り道です。
一番街のシンボルは大きな鬼瓦のついた黒いしっくい窓の建物で、その建物から先の一角はまるでタイムスリップをしてしまったかのような完全な再現がなされています。
一番街にある建物はどれも当時のままのものを修繕しながら使用しているものですが、中でも最も歴史が古いのが大沢家住宅という1792年に建築をされた建物です。
一番街にある建物はどれもしっくいで塗られた瓦ぶきのものですが、これは江戸時代に何度も起きては問題になっていた失火に対処するためのもので、当時燃え広がりを防ぐことができる蔵造りの建築物が多く作られたためです。

川越の古い町並みは、1923年の関東大震災によって東京の町並みが壊滅してしまったこともあり、現在では唯一江戸と明治の香りを残すものとなっています。
他にも川越には珍しい建物がたくさんあるので、一度行ってみることをおすすめします。

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